あなたの幼い頃の夢はなんでしたか?
皆さん、子どもの頃にはなにになりたいと思っていましたか?
プロ野球選手、アナウンサー、客室乗務員・・・
など大きな夢を持っていたことでしょう。
そのまま夢を実現する人もいますが、多くの方はだんだん、もう少し現実を認識するようになり具体的な職業を描くようになります。
そのようにして決められた人生が、本当にご自身の希望なのか?
フとそのことに気持ちをとめて考えてみましょう。
その気づきのために自我と超自我のお話がお役立ていただけると思います。
エス・超自我・自我とは
自我と超自我はフロイトという心理学者が『こころ(心の装置)』として提唱した概念です。
フロイトによると心とは
『エス』…本能的な欲求
『超自我』…親からのしつけや社会から影響を受けた道徳的な規範のようなもの
『自我』…エスと超自我を調整する自分自身
からなっているとされています。
図にするとこのような感じです。
エス(感情・欲求)と超自我(躾・ルール)による綱引きが勝ったり負けたりを繰り返しながらも、
最終的にどちらかに引っ張り込まれたりせずに、
いつも五分五分の戦いをしているようなら、良い自我が育っていると言えるでしょう。
赤ちゃんの心の装置
例えば赤ちゃんはエス(感情・欲求)そのものです。
お腹が空くと泣き、充たされると笑顔になりスヤスヤ寝たい時に寝て、起きたい時に目覚めます。
意の向くまま感情のままに生きています。
でも幼稚園児くらいになると朝、幼稚園バスに間に合うように起こされれば起きます。この
「まだ眠いのに(エス)、お母さんが起こして(超自我)イヤだな!あ、でも今日は楽しいプールがあるんだ!起きよう(自我)」これが両者に折り合いをつけた自我です。
中高生の心の装置例
せめぎ合いの例をもう一つあげると。
授業中にスマホが見たい!(エス)
バレたら先生に叱られる!(超自我)
家に帰るまでがまんしよう!(自我)
いかがでしょうか?
自我と超自我、エスの関係がおわかりいただけたでしょうか。
超自我(躾・ルール)が優位となる例
さて
こんなふうに社会に適応しながらバランスが取れていると問題はないのですが
例えばもう50代くらいのおじさまなのにいつまでもエス(感情・欲求)のおもむくままに行動していたらかなり問題ですよね。
逆に社会のしがらみである超自我(躾・ルール)にがんじがらめになっていたら、それはとてもストレスです。
例えば
子どものころに絵を描くのが好きで画家になりたい、という夢を持っていても
親御さんや周囲から
画家になっても食べていけない。
美大は学費が高いからダメだ。
このように言われると
ご自身の考えがなりを潜めて、
・親御さんの考え
・周囲の期待
・厳しい教師からの影響
・地域性
などが複雑に絡み
いつしかその期待こそが自分の考えだと思い込んでしまう可能性があるのです。
超自我が強いと違和感を憶える
そういう方は、人生のどこかの時点で
漠然とした違和感を持つかもしれません。
仕事も私生活もすべて順調だけど、何か違うなぁという感覚です。
だからと言って今から画家を目指しましょうという話ではありません。
断念した気持ちエス(感情・欲求)に気づき
超自我(躾・ルール)と改めて折り合いをつけ
自分の意志(自我)として何を思いどう選択するのかを
心の中でやり直す感覚かもしれません。
そのことに気がつくと、
あるいは後半の人生で絵を趣味として取り入れるなど充実した日々を得たり、
人生の統合に向かっていくきっかけにしていくことができるかもしれません。
もし、なにか違和感を持たれたらそれを人生の転機と捉えて、一度ご自身の心と向き合っていただくと良いでしょう。
問題が解決しない方は 銀座カウンセリングルーム こころね工房へどうぞ。お待ちしています。